箱根駅伝、テレビ放送開始の舞台裏

正月の風物詩として多くのファンに愛される箱根駅伝。その初回放送が行われたのは1987年の第63回大会だった。それまで“マイナー競技”の枠を超えていなかった箱根駅伝のテレビ放送はいかにして始まったのか? 初代センター実況として当時を知る元アナウンサーの小川光明さんが、知られざる舞台裏を語った。

 

箱根駅伝とアクシデント「見たくないという声も聞くが…」徳本一善、中村祐二の“大ブレーキ”を実況したアナウンサーはどう思っていた?

 青山学院大の優勝で幕を下ろした今年の箱根駅伝。総合タイムは新記録となる10時間43分42秒で、2位の順天堂大に10分51秒もの大差をつける圧勝ぶりが話題となった。

 テレビ視聴率は今年も高く、日本テレビ系列で1月2日、3日に中継された「第98回箱根駅伝」の往復平均視聴率は歴代17位タイとなる27.3%を記録した。歴代1位の32.3%だった昨年には及ばなかったものの、勝敗が早々に決するレース内容でこの数字は立派だろう。

 見る者を夢中にさせる箱根駅伝の魅力は様々考えられるが、心のこもった実況もその一つではないだろうか。学生ランナーが走る姿をただ映すのではない。彼らがどのような思いで箱根路を駆けているのか、実況を聞いているとその心模様までもが透けて見えてくる。

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「5区で電波が繋がるか…」箱根駅伝の初代実況者が語る真実「技術者たちはテントで冷えた弁当暮らし。それでも文句を言わなかった」

 1987年、1月2日。いよいよ「第63回箱根駅伝」の生中継の幕が開いた。

 過去の駅伝映像が白黒で流れ、そこに小川さんの落ち着いたナレーションがかぶさっていく。

大正9年の第1回の開幕以来、若きランナーたちの心を捉え続けてきた箱根駅伝。早春の熱い風となったランナーたちは、東海道に幾多のドラマを生んできました……」

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箱根駅伝とアクシデント「見たくないという声も聞くが…」徳本一善、中村祐二の“大ブレーキ”を実況したアナウンサーはどう思っていた?

初代実況者の脳裏に焼き付いた「徳本、中村の大ブレーキ」

 3回目の放送となる第65回大会からは全区間の生中継が実現。小川さんはセンターを退いてからも、スタートやゴール地点での実況、またインタビュアーとして長く中継に携わった。もはや新春の風物詩と言っても過言ではない箱根駅伝。小川さんの脳裏に今も鮮明に焼きついているシーンとはどのようなものだろう。

「やっぱりね、アクシデントはよく覚えてますね。2区を走る選手はエースと呼ばれるんだけど、そんな彼らでも4年間走ったら1回は失敗するんです。法政大の徳本(一善)君も大ブレーキを起こしたし、山梨学院大の中村(祐二)選手もそうでした。監督がもう走らなくて良いというのに、一生懸命に襷をつなごうとする。ああいう姿は見たくないという声も聞くんだけど、あれも駅伝の厳しさで、私は良いと思うんですね。全力を出し切って倒れ込んでしまう選手がいる。どれだけ準備をしても、ケガで残念な結果に終わることもある。それはそれで仕方ないじゃないか、と私は思います」

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