箱根駅伝外伝~東洋大元監督・佐藤尚が語る~

正月の風物詩「箱根駅伝」の季節がやって来た。強豪・東洋大を1994年から指導し、〝第二代山の神〟こと柏原竜二(32)や設楽啓太、悠太兄弟(29)を育てたのが佐藤尚元監督(68)=現支援コーチ。教え子たちのスカウト秘話や秘蔵エピソードを交えながら、箱根の魅力と舞台裏を語る-。

今年で98回目を迎える「東京箱根間往復大学駅伝競走」、通称「箱根駅伝」は毎年名場面が生まれ、沿道やお茶の間の駅伝ファンからも熱い声援が飛ぶ。

 

(1) 「出雲優勝の東京国際大は、東洋大青学大での泊まり込み合宿で力をつけた」

昨年の大会も、最終10区にドラマが待っていた。4回目の出場で初優勝を目指す創価大が逃げる中、過去優勝6回の駒大が追いつき、13年ぶりの美酒を味わった。

今年の箱根駅伝もまた、戦国時代の様相を呈する。

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(2) 「偶然見つけた柏原のスカウトはアゴで決めた」 「山の神」出会いの秘話

2009年の箱根駅伝といえば、2代目の「山の神」が誕生した大会として、多くの駅伝ファンの記憶に残っていることだろう。

東洋大ルーキーの柏原竜二(32)の8人抜きは衝撃的だった。それまで「山の神」と呼ばれた順大の今井正人(37)の記録を47秒更新する驚きの区間新記録を樹立し、東洋大の往路優勝に貢献。記録にも記憶にも残る快走劇だった。

その柏原と佐藤の出会いは、福島県の競技大会だった。

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(3) 「柏原は合宿のたびによくなり、9月には『5区は任せた』と告げました」

2008年に東洋大に入学した柏原は、シドニー五輪男子マラソン日本代表だった川嶋伸次監督(55)の下、着々と個人記録を伸ばしていた。

「関東学生陸上競技対校選手権大会」(関東インカレ)の1万メートルでは日本人トップの3位、「世界ジュニア陸上競技選手権大会」の1万メートルでも7位。高校時代に無名の存在だったとは思えないほどの活躍だった。

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(4)「不祥事を乗り越えて出場が決まった夜、柏原は目を輝かせた」

2008年12月を迎え、東洋大は年明けの「第85回箱根駅伝」に向けて順調に調整を続けていた。

この年1月の箱根で優勝した駒大は全日本駅伝でも勝利していた。箱根の往路を制した早大も16年ぶりの総合優勝に照準を合わせていた。東洋大もまた、4年の大西兄弟を中心にまとまり、出雲駅伝4位、全日本駅伝5位と十分に対抗できる状況だった。

「箱根1位、2位だった駒澤さんと早稲田さんに何かあれば、総合2位まであると思っていましたよ。『東洋大として史上最高の成績を残すチャンスだから、士気を上げるためにも優勝宣言しましょう』と川嶋監督に進言したぐらい(笑)。旭化成からの出向の形で指導していた監督にとっても契約の最終年だったので、集大成とも言えるぐらいのいいチームでした」

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(5) 箱根駅伝の5区「『柏原! 速すぎるぞ』と声をかけましたが…指示は無視でした(笑)」

箱根駅伝の5区は、標高約35メートルの小田原中継所から国道1号線の最高地点の標高874メートル(芦之湯付近)まで駆け上がる。まさに〝山上り〟であり、毎年のように途中棄権や大ブレーキが起きる難しいコースだ。

だが、ルーキーの柏原は臆することなく、前を行く8校を驚異的なハイペースで追いかけた。小田原中継所地点で、トップ通過の早大とは4分58秒差、2位の山梨学院大とも4分10秒差だった。

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(6) 柏原激走もアクシデント「伴走していた運営管理車の中で急病が出て、給水地点に間に合わず…」

東洋大のルーキー・柏原が「山の神」と呼ばれた順大の今井正人(37)の持つ区間記録を上回るペースで激走し続けるなか、アクシデントが起きていた。

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