島根県陸協 令和5年度予定
2月5日に行なわれた『別府大分毎日マラソン』で、横田俊吾(青山学院大)が日本人2位(全体4位)となる2時間7分47秒で走り、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)の出場権を手にした。
鮮やかに新星誕生を印象づけた。1991年2月3日の別府大分毎日マラソン。23歳の森下広一(旭化成、現トヨタ自動車九州監督)が、初マラソンの日本最高記録(当時)の2時間8分53秒を樹立した。それまでの記録を一気に3分7秒も短縮した上、日本のエース格だった31歳の中山竹通(ダイエー)を破った。
35キロから2人のデッドヒートが続く。世代交代を告げるかのような場面は39キロ付近で訪れた。森下は中山に肩をたたかれ「行っていいぞ」と声をかけられた。レースで30キロ以上は未経験。「自分の体調が持つか心配で、キープすることを考えた」中でのひと言で、前に出る決断を下した。
「中山さんに勝てば(競技人生が)変わると思っていたが、これからどうなるか」
大会翌日の西日本スポーツ1面に残るコメントだ。本人の〝予言〟通り、大分での快走は快進撃の幕開けとなった。
天才女子中学生ランナーとして陸上界に衝撃を与えたドルーリー朱瑛里(15、岡山津山・鶴山中)が3日、出場を予定していた「BIWAKOクロカン2023」(5日・滋賀県野洲市)の欠場を発表した。ドルーリーが代理人弁護士を通じて声明を発表したもので、加熱する報道やファンからの常識に欠けた声かけや写真、動画撮影などに不安を感じたもの。プロでも芸能人でもない未成年のアマチュアアスリートのプライバシーや人権、そして練習環境などをどう守ればいいのか。一石を投じる出場辞退となった。
「近所の取材や動画アップはやめて」 ドルーリー朱瑛里さんコメント全文
陸上のドルーリー朱瑛里(しぇり)選手(15)=岡山・鶴山中3年=が報道の過熱や周囲からの注目度の高さに不安を感じるとして、代理人弁護士を通じて発表したコメントの全文は次の通り。(原文まま)