空海の開いた聖地から都大路へ――。和歌山県高野町の高野山高校が4月、陸上部を創設した。長距離走で実績のある福島太郎さん(29)を監督に迎えた。徳島県から入学した1年生、岡本空大さん(15)が現在、ただ一人の部員だ。“二人三脚”のスタートだが、それでも全国高校駅伝大会出場を見据えるのには、創部を後押しした声があった。「高野山の環境は、長距離選手の育成に適しているのではないか」
◇標高900メートルの高野山高
周回遅れでレースを進めていた選手が、テレビカメラのケーブルに絡まりバランスを崩すアクシデントがあった。
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— KAZXY168 (@kazxy168) 2022年5月8日
こんな事あっちゃいけないよね。
日本陸連は8日、東京・国立競技場で7日夜に行われた日本選手権1万メートルの男子のレース中、選手とテレビカメラのケーブルが接触するなどしたため、陸連と中継を担当したNHKが当該の選手や所属先に謝罪したことを明らかにした。
多くのスター選手の活躍により、近年ますます盛り上がりを見せている大学駅伝界。有望な高校生ランナーのほとんどが箱根駅伝を走るために関東の大学に進学するなか、高校卒業後、すぐに実業団入りした選手がいる。2月の全日本実業団ハーフマラソンで優勝を果たした林田洋翔(はやしだ・ひろと/三菱重工)だ。中学時代から同世代のトップランナーとして注目を集めていた林田は、なぜ箱根路を目指さなかったのか。インタビューでその理由に迫った。
2年前の決断について、「後悔はまったくないですね」。20歳の林田洋翔は、笑顔でそう話す。
当時、高校3年生だった彼は人生の岐路に立たされていた。高校を卒業し、関東の大学へ進学するか、それとも実業団へ進むか、選択権は自らの手の中にあった。長距離選手にとってそれは、箱根駅伝を目指すのか、あるいは別の目標を立てるかに等しい。多くの選手は迷いなく箱根を選ぶだろうが、彼はその道を選ばなかった。
「もし関東の大学に行っていたら、自分は遊んでしまっていたと思うので(笑)。地元(長崎)の実業団を選んで良かったと思います」
林田の名前を聞いて、ピンとくる人もいるかもしれない。彼は中学時代、走るたびに記録を塗り替えるスーパー中学生だった。
中学卒業後、林田は地元・長崎の瓊浦高校に進んだ。当時、長崎県下で4強と言われていた高校の一つだ。この時点で、卒業後の進路の“本命”は関東の強豪大学ではなく三菱重工(当時はMHPS)だったという。
「三菱重工への憧れですか? なんでしょうね……。地元の企業ですし、やっぱりシンプルに強いじゃないですか。ニューイヤー駅伝でもつねに上位に入っていて、井上(大仁)さんたちがマラソンで結果を残されている。憧れの気持ちが強くて、『自分も絶対にこのチームでやるんだ』と中学の時には決めていました」