1964年10月22日付の西日本スポーツ1面は、大胆なレイアウトが目を引く。
「マラソンに待望の日の丸 円谷、根性の銅メダル」
見出しと短い記事が添えられただけで、円谷幸吉が銅メダルを掲げた写真が紙面の大半を占めた。まるでポスターのような作りだ。
前日21日、東京五輪の陸上男子マラソンが国立競技場を発着点に開催された。世界新記録での2連覇を達成したエチオピアの英雄、アベベに続いて2番目に国立競技場に戻ってきたのは円谷だった。国民の大歓声を受けながらも、トラックの最終コーナーでヒートリー(英国)にかわされた。
今でも斬新に映る西スポの作りでも分かるように、円谷は大きな期待をメダルに変えた。だが、同じレースで8位だった君原健二さんには、忘れられない光景がある。