2度の東京五輪がつないだ君原健二さんの数奇な運命 「メダルは国民との約束」背負った覚悟

 1964年10月22日付の西日本スポーツ1面は、大胆なレイアウトが目を引く。

「マラソンに待望の日の丸 円谷、根性の銅メダル」

【写真】斬新な59年前のスポーツ新聞

 見出しと短い記事が添えられただけで、円谷幸吉が銅メダルを掲げた写真が紙面の大半を占めた。まるでポスターのような作りだ。

 前日21日、東京五輪の陸上男子マラソンが国立競技場を発着点に開催された。世界新記録での2連覇を達成したエチオピアの英雄、アベベに続いて2番目に国立競技場に戻ってきたのは円谷だった。国民の大歓声を受けながらも、トラックの最終コーナーでヒートリー(英国)にかわされた。

 今でも斬新に映る西スポの作りでも分かるように、円谷は大きな期待をメダルに変えた。だが、同じレースで8位だった君原健二さんには、忘れられない光景がある。

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