わずか3度目のマラソンで五輪銀メダル 森下広一「超センスがある大迫だって」 後進に伝えたいこと

 鮮やかに新星誕生を印象づけた。1991年2月3日の別府大分毎日マラソン。23歳の森下広一旭化成、現トヨタ自動車九州監督)が、初マラソンの日本最高記録(当時)の2時間8分53秒を樹立した。それまでの記録を一気に3分7秒も短縮した上、日本のエース格だった31歳の中山竹通ダイエー)を破った。

 35キロから2人のデッドヒートが続く。世代交代を告げるかのような場面は39キロ付近で訪れた。森下は中山に肩をたたかれ「行っていいぞ」と声をかけられた。レースで30キロ以上は未経験。「自分の体調が持つか心配で、キープすることを考えた」中でのひと言で、前に出る決断を下した。

 「中山さんに勝てば(競技人生が)変わると思っていたが、これからどうなるか」

 大会翌日の西日本スポーツ1面に残るコメントだ。本人の〝予言〟通り、大分での快走は快進撃の幕開けとなった。

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