第2回ひかわRunningフェスティバル

2019年9月23日(月・秋分の日)

開催いたします!

 

hikawa-yume-club.jimdo.com

 

 

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23年残るリレー日本記録 アンカーは再び夢舞台めざす

陸上競技のリレーといえば、かつては4×400メートル(1600メートル、通称マイル)リレーが世界に近いと注目を浴びていた。大森盛一(おおもり・しげかず)さん(47)は1996年アトランタ五輪で5位入賞を果たしたレースでアンカーを務め、現在も破られていない日本記録(3分0秒76)を樹立した。引退後トラックを離れいくつもの職業を転々としたが、再び陸上界に指導者として復帰。いよいよい1年後に迫る東京五輪パラリンピック出場を全盲のパラ陸上選手、高田千明さんと二人三脚で狙っている。アスリートの引退後をたどる「未完のレース」、スポーツライター増島みどりが4回連載する。

www.nikkei.com

リオリレー侍と違うメンバーで37秒台を出した意義

勝負事には根拠のない自信も時に必要となる。とはいえ、裏付けされた自信があるに越したことはない。その意味では得られた収穫は計り知れない。

陸上のダイヤモンドリーグ・ロンドン大会の男子400メートルリレー。多田修平(23=住友電工)、小池祐貴(24=住友電工)、桐生祥秀(23=日本生命)、白石黄良々(23=セレスポ)で挑んだ日本は37秒78で2位になった。17年世界選手権で金メダルを獲得した英国の37秒60には及ばなかったが、そのタイムは日本歴代3番目だった。

www.nikkansports.com

GMOが駅伝参入

ニューイヤー初出場Vへ「No.1大作戦」

 陸上のGMOアスリーツは24日、東京・渋谷区のセルリアンタワー東急ホテルで会見を行い、今季から駅伝に参戦することを発表した。11月の東日本実業団駅伝、さらに来年1月1日のニューイヤー(全日本実業団)駅伝を目指す。

sportsbull.jp

 

 

 

GMOが駅伝参戦 青学大出身の森田歩希、東大出身の近藤秀一らが加入

 陸上のGMOアスリーツは24日、東京・渋谷区のセルリアンタワー東急ホテルで会見を行い、今季から駅伝に参戦することを発表した。11月の東日本実業団駅伝、さらに来年1月1日のニューイヤー(全日本実業団)駅伝で上位を目指す。

sportsbull.jp

 

 

 

創部4年目、マラソンで結果を出し始めたGMOアスリーツが実業団駅伝参戦

 2016年に創部したGMOアスリーツが、実業団駅伝に参加することを決定。24日に記者会見を行った。
 花田勝彦監督は駅伝に参戦する理由を次のように語った。

 

PLAYBACK!オリンピック名勝負-ー蘇る記憶

バルセロナ五輪男子マラソン、「こけちゃいました」と壮絶な優勝争い

東京オリンピックまで、あと1年。スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典が待ち遠しい。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あのときの名シーン、名勝負を振り返ります。

秋の3大駅伝に向けてアピールを続ける東海大3年の名取燎太

◆         ◆         ◆

 1970年代終盤から、日本男子マラソンは世界をリードする勢力になった。瀬古利彦宗茂・猛兄弟は、80年モスクワ五輪の代表で「メダルは確実」と期待されたが、日本選手団の不参加決定により、その強さを見せつけるのはかなわなかった。それ以降も日本男子マラソンはメダルに手が届かなかったが、92年バルセロナ五輪で、ようやく悲願のメダルを手にすることとなる。

headlines.yahoo.co.jp

【話の肖像画】マラソンランナー・君原健二(78)(8)円谷と走った銀メダル

 〈昭和43年1月9日、「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」の遺書を残して亡くなった円谷幸吉自衛隊葬に、君原健二とコーチの高橋進が連名で打った、弔電が届いた。「ツブラヤクン シズカニネムレ キミノイシヲツギ メキシコデ ヒノマルヲアゲルコトヲチカウ」〉

 文面は高橋が考えたものです。私には相談もなかったと思います。私はまだ、オリンピック代表に選ばれたわけでもなく、そんな気持ちにはなれませんでしたから。ただ、実際にメキシコ五輪でマラソンのスタートラインに立ったときに、「このスタートに本当に立ちたかったのは、円谷さんだ。今日は、円谷さんのために走ろう」と、そう思ったのです。

www.sankei.com