今から20年前の2002年の全国高校駅伝。
この年、数校の実力が伯仲すると言われていた都大路で準優勝に輝いたのが佐賀県立白石高校だった。4区を走った“赤い稲妻”ことエース・高井和治の区間新記録を、いまでも覚えている高校駅伝ファンも多いだろう。
ほかの「優勝候補」校とは異なり、普通科だけの県立進学校の駅伝チーム。
中学時代の実績もほとんどなかったランナーたちは、なぜこの年、全国の頂点を目指せるほどに成長できたのだろうか?
「丸刈り強制なし、練習は2時間だけ」“普通の”県立高校陸上部の奇跡…20年前、なぜ全国高校駅伝で準優勝できた?「ヤバかった練習方法」
「普通の公立高」に何があったのか?
2002年の都大路は、群雄割拠の様相を呈していた。
優勝候補に挙げられていたのは、5校。
2年生ながら13分台の記録を持つ北村聡(現日立女子陸上部監督)をエースに総合力も高かった兵庫の西脇工業を筆頭に、同じく2年生エースの上野裕一郎(現立教大監督)を軸に、実績豊富な3年生を多く擁する長野の佐久長聖。その年のナンバーワンランナーだった土橋啓太を擁する福岡・大牟田。そして、後に北京五輪のマラソンで金メダルを獲得することになる強力な留学生の故サムエル・ワンジルがいる仙台育英。
そしてもう一校が、高井たちの白石高校だった。
NHKアナウンサーが絶叫「ものスゴいペースです」“無名の県立高ランナー”が見せた伝説の区間新…20年前、なぜ全国高校駅伝で奇跡を起こせた?
「4kmで20秒詰めました……ものすごいペースです」
NHKの実況は、なかば絶叫するようにそう状況を伝えた。
今からちょうど20年前――2002年の全国高校駅伝での一番のハイライトは、間違いなく4区を走った佐賀・白石高校の高井和治の区間新記録だった。
「先頭から遅れてくるのはわかっていたので、もう入りからツッコんでいこうと」
9位で襷を受けた直後から、上半身は左右に揺れ、表情は険しい。昨今流行りの美しいフォームのランニングとは似ても似つかない。ただ、決してスマートではない走りゆえに、その姿は見るものにより一層の迫力を感じさせた。襷を渡すころには7人を抜き、2位までその順位を上げていた。
そんな高井の快走もあり、この年、白石高校は準優勝という快挙を果たすことになる。
この記事を読んで思ったが、この年からさらに遡ること25年(1977年)第28回大会。この年益田農林が、大会史上島根県最高順位となる準優勝をしている。2°12'44"と今年(2022)の記録からすると46位。
当時の【月刊陸上競技】より