4月になり、2019年度がスタートするとともに、大きな変化を求めた選手がいる。マラソンの川内優輝である。「市民ランナー」から「プロ」への転向という、競技人生において、最大と言ってよいかもしれない決断を下した。
もはや知らない人はいないかもしれないが、改めてその足跡をたどってみよう。
川内の名前が広く世に知られることになったのは、2011年の東京マラソンだろう。このレースで、川内は日本人選手の中では最上位の3位となった。同時に、規定により、同年の世界選手権代表の座をつかんだ瞬間でもあった。
公務員からプロ転向の川内優輝が、東京五輪よりも重視するものとは。
列島が注視した新元号発表の約3時間後、男子マラソンの川内優輝は興奮気味に新たな一歩を刻んでいた。4月1日、プロランナーとしての初日。午後3時すぎ、シューズのひもを結び、軽快に大地を蹴った。
3月31日で埼玉県庁を退職して“公務員ランナー”という愛称に別れを告げた。プロ初練習には埼玉・久喜市の自宅から行田市方面を回るコースを選んだ。50km走の予定だったが、途中で道に迷ったために走行距離は60kmに。これまでは勤務があったため平日は2時間程度のトレーニングしかできなかったが、月曜日に5時間弱、汗を流した。
「やりたいようにできる。すごく恵まれているな」
心地良い疲労の中に、確かな実感があった。