宍道湖一周駅伝 コースの変遷

前に書いたけど 俺が斐川陸協に入ったのは昭和54年(それ以前の事ははっきりとは知らないけれども 今よりも道が細く曲がっていて距離が長い) 当時は今と反対の反時計周りでしかもスタート・ゴールは松江市役所〜平田〜出雲〜斐川〜宍道〜玉湯〜市役所と今よりも約6km長く67.0kmあった 最長区間は2区の秋鹿〜平田の14.0km(ここを利治さんが9回走らいた) そして平田から斐川へ来るのではなく 出雲へ周り出雲市体育館が次の中継所だった
その後 昭和57年(島根県で国体:くにびき国体)から今と同じく時計周りとなり しかも 出雲の中継所で前半の部として一旦ゴール 全員で再スタートすることになった(はっきり覚えてないけど数回だけ)
そして 昭和60年 現在と同じく松江市営陸上競技場からのスタート・ゴールとなった為総延長が70kmを越えた(最長区間が20kmとなったため3部:高校は平成元年から3年間8区間となる)
そして 平成4年から出雲の中継所を廃止し現在と同じ 斐川から平田へと変わり(距離が若干違う)今と全く同じになったのが平成7年から そして今年16年ぶりにコースが変わる