「東京五輪“中止”論争、アスリートにどう影響?」「無観客五輪で一番失われるものは?」“3度出場”為末大に聞く
昨年11月、体操の内村航平はこう訴えた。 「どうにかできるやり方は必ずあるので、どうか『できない』とは思わないでほしい」
先月、IOCのトーマス・バッハ会長もこう言った。 「開催されるかどうかではなく、どう開催するかだ」
規模を縮小し、感染対策を徹底すれば、“新しい形”の五輪はできるかもしれない。しかし、観客もなく、地域との交流もなく、祝祭感もなかったとして、それは果たしてオリンピックと言えるのだろうか。
組織委員会トップ・森喜朗会長の偏見にまみれた舌禍事件によって、この期に及んでまたもや隅っこに追いやられてしまった感はあるが、主役となるべきが選手たちであることは変わりない。選手にとってオリンピックとは何なのか。何が選手たちにとってオリンピックをオリンピックたらしめるのか。
それを考えるため、2000年のシドニーオリンピックから3大会連続で出場し、“走る哲学者”と呼ばれた為末大に話を聞いた。