ボイコットや調整失敗…五輪では無冠だった「世界の瀬古」

■連勝街道

   今は日本陸連強化委員会のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーに就任している瀬古(利彦)は現役時代、本当に強かったよ。
  仮定の話をしても意味はないが、代表に選ばれた1980年のモスクワ五輪に出ていれば、120%金メダルを取ったと思う。
  三重の四日市工高時代は800メートルと1500メートルで全国制覇。1浪して早大に入学すると、学生時代は箱根路を走り、36年ベルリン五輪1500メートル代表の経験がある元日本記録保持者の中村清監督(早大OB)からマラソンを勧められる。「世界の瀬古」が、ここからスタートした。