【話の肖像画】マラソンランナー・君原健二(78)(8)円谷と走った銀メダル

 〈昭和43年1月9日、「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」の遺書を残して亡くなった円谷幸吉自衛隊葬に、君原健二とコーチの高橋進が連名で打った、弔電が届いた。「ツブラヤクン シズカニネムレ キミノイシヲツギ メキシコデ ヒノマルヲアゲルコトヲチカウ」〉

 文面は高橋が考えたものです。私には相談もなかったと思います。私はまだ、オリンピック代表に選ばれたわけでもなく、そんな気持ちにはなれませんでしたから。ただ、実際にメキシコ五輪でマラソンのスタートラインに立ったときに、「このスタートに本当に立ちたかったのは、円谷さんだ。今日は、円谷さんのために走ろう」と、そう思ったのです。

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