東洋大陸上コーチ・土江寛裕(5)世界の舞台で戦いたい

【話の肖像画東洋大陸上コーチ・土江寛裕(5)世界の舞台で戦いたい
2014.12.26 07:53
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今年4月の織田幹雄記念国際陸上大会で、桐生祥秀選手(左)と会見を開く(中川春佳撮影) 〈2006年に現役を引退。城西大陸上部監督として指導者の道を歩み始めた。08年北京五輪の直前、日本陸連短距離副部長に就任。400メートルリレーで「バトンゾーンと前後10メートルを合わせた40メートルを3秒75でつなげれば金メダルの確率は50%」など数字を提示し、日本短距離史上初となる銅メダル獲得に貢献した〉

 アテネの次の五輪は想像がつかなかった。もうアキレス腱(けん)も痛くて限界だった。次は指導者になって五輪に挑戦できたらいいな、と。僕は根拠が好きなので、「こうするとメダルが取れるよ」ということを考えていたんです。3秒75って当てずっぽうで出したんですけど、なかなか良いタイムで。実際に走って計ってみたら3秒8くらい簡単に出て、「行けるわ」という雰囲気になったと思うんですよ。


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